私たちができること


昨日、このところ世間で起きている不幸な事件について
たまたま居合わせた私よりも年齢が上の人々と職場で語り合った。
「どうしてこんなことが起きるのだろう。すごくショックだ」
と言う人、「最近の子供たちは変だ」と言う人、「親も先生も
おかしい」と言う人。


全部ひっくるめて「おかしい」というひと括りで語るのはちょっと乱暴かと思う。
いつの時代も「最近の若い者は」という言葉はあり、
変化についていけない、変化を認めたくない大人の言葉でもあったりするから。
時代、時代でちょっとおかしい人はいるだろうし、凶悪な事件を起こす人も
居ただろうから。
確かに昔に比べて凶悪な事件は多くなっているのかもしれない。
衝動的で極端な事件は多い。
それに対するマスコミのヒステリックな報道も多くもあるが。


なぜ、そういう事件が起きやすくなっているのか?
私は最近の人たちは「考える」ということをあまりしなく
なっているのではないかと思う。
なんでもスイッチ一つでどうにでもなることが多い世の中である。
何かを工夫をしたり、考えたり、創造的に生きる機会が減っている。
自分の思うようにならないものはスイッチ一つでデリートしてしまう。
極端に言えば、そういう思考回路の人もいるのかもしれない。
人間に対しても。


心の中のモヤモヤがなぜそうモヤモヤしているのか、
きちんと考えて「位置付け」をして欲しい。
それだけで違うから。
そう思うのが良い悪いではなく「今はこう思っているんだ」と
ただ認めて、そんな自分もいるんだと。


先だって若くして亡くなった哲学者の池田晶子さんの著書を
遅まきながら読ませていただいた。
14歳に向けて書かれた、人としての在り方をきちんと教えてくれている
すばらしい本だった。
周りにきちんと考えることを教えてくれる大人が居なければ
本を読むといいと思う。いや、ぜひ読んで欲しい。
自分を救うために。

14歳の君へ―どう考えどう生きるか

14歳の君へ―どう考えどう生きるか