出戻ってみる。

半年ほど前だろうか?リアルな友だちに偶然
ここ(私のヒミツの場所)を知られてしまい、
監視されているような不自由なキモチになっていた。
相手はそんな気持ち毛頭ないのだろうが、もっとも
本音で語れるこの場所を見られているのはなんだか
息苦しくなってしまった(ネットに曝しているので
今更それもないだろう)。
ってことで、昔の場所へ出戻りました。


日記のデータを移していて「こんなこと考えていたのか!」と
昔の日記にすごく驚かされる。
その言葉たちを綴ったのは自分のようでもあり、
知らない人を見ているようでもあり。


先週、いろんなことが分からなくなった。
初めてのようでもあり、久しぶりのようでもあった。
私は、分からないことがあると、何でも割にとことん
解決しようとする性質である。
当然、何が分からないのかすら「分からない」と言うことは恐怖であった。
そのことに更に恐怖を感じたのがシャチョーだったようだ。
先週様子がおかしかった私を呼びとめて「なぜ相談しないのか?」と
詰め寄った。
この人は私のことをとても大事に思っていて、とても心配して
くれているのだなと有難く思った、その時は。
いろいろと話をしてある一部はほどけたのだが、今週になって
軽く後悔。
重たいのだ。
心配のあまり、管理しようという方に走っていると感じるのだ。
多分、私に対しての思い入れが強いのだと思う。
確かに心配してくれているのだが、それは私を楽にするの域を
超えている。なるべく自分が心配しないでよいような
方向へ持っていきたいになっている。
そこに「わたしの意思」はない。
また相手の好意に応えなければと思ってしまった自分が
居たのだろうか?
いつものようにそっと静かにして時が来るのを待てばよかった。
久しぶりに息苦しい。


自分が偏愛的なためか、その類の人をどうやら強烈に寄せ付けて
しまうようだと今日あらためて思ったのであった。
心配されるのは有難いことなのだろう。
ちょっと静かにしているだけで「大丈夫なの?」とか異常に心配される。
「え?何が起こったんだ?」と思うほどに。
正直、対応に困ってしまう。


本来の自分は地味で静かにしている割合の方が断然多いのだが
テンションの高い所や過激な所ばかりに注目が集まるせいか
「低いテンションの私」は他人の眼にはいつもと違うものとして
映るらしい。
以前は、それにとても悩んだ時期があった。
周りの求めている「高いテンションで面白いことを言う人であること」
を常に自分に課していた。
とても辛かったのだと思う。
半年に一回倒れて1週間ほど外に出れなくなっていた。
要するに既に病気だったのだろう。


今は、それはしない。
スイッチが切れたら静かにしている。
但し、スイッチを切った私は私じゃないと周りがざわめくことは
変わらない。
極端過ぎるのが良くないのかもしれないし、説明が必要なのかもしれない。
しかし、面倒だ。
いっそずーっと低空飛行を続ける方がいいのかもしれない。
そこの所をどうしようか?と思案中である。
そっとしておいてはくれまいか?